地域コミュニティの崩壊から新たなる創生へ
激動に伴う都市コミュニティの発見
首都圏の都心においてバブル崩壊が始まった頃、地上げ攻勢の特にひどかった地域において、日常消費や医療など高齢者の生活基盤が喪失した事例にぶつかって、多くの関係者が対策にとまどったことを今も鮮明に思い出します。利益を求めて動く地上げ攻勢によって、多くの生活者が地域を離れ新しい居住地に去っていくと、都市域としての人口世帯に合わせて出店している生活便益機能や医療機関等はその成立基盤を失って、地域を離れざるを得ない状態が生まれます。変化に対する緩衝能力が低く、もっとも環境変化へ適応する機能の低い高齢者にとっては生活者としての基本的用件である食品、医療、福祉等の入手さえも不可能になったのであります。
都市コミュニティといっても、その殆どが広域生活圏の中心市街地、或いはスプロール時代の駅前機能の再生事業のための地域社会を対象として調査・立案・施行を分担していた我々にとっては、生活機能の殆どを中心市街地に依存した階層構造によって確保されていた生活圏構造は、少なくとも大都市においては相当な経済的な変化があったとしても充分に耐えられる緩衝能力を保持すると思っていたのも事実であります。このような階層的な生活圏構造には、地域の生活習慣によって多様な変化が認められており、常に正確な序列で階層が形成されているわけではありません。
北海道の生活圏では、明治の序動期にあった屯田兵制度によって造られた生活習慣から、単位生活圏と一次生活圏が形成されず、消費者は馬車による動線の確保によって二次生活圏へ直行するようになったのであります。大都市圏における生活圏は、このように動線の整備に伴って造られた生活習慣によっても形成されており、動線の確保が一定以上あれば、社会形成の基盤の少々の喪失には充分耐えられるものであったと考えたのであります。しかし動線の活用が十分な人たちでは気にとめないことですが、適応性のうすい高齢者にとっては地上げによってバブル崩壊の呈した状態では、高齢者にとっての日常の生活システムが機能せず、税額を納入する公共機能としてこの状態のままの無策は如何なものかという批判に対し、具体的な答えを持てなかったという事実があります。
これらの話は、巨大都市における生活感の中にも、地域コミュニティと呼ばれていいかどうかは別にして、生活共同体の一員として選択した地域社会があり、知らぬ内にそれに頼って生活しているものが多く、砂漠のように無機質な社会であり、孤独であるという側面の他にもっと切実な効用として、地域コミュニティという機能の総体を使っている自分を見いだすのであります。
そして地域コミュニティの役割が、巨大地震の発生の際にみられたように、受け手本意の情報提供が行われる様々な活動によって自己組織化が進んでいき、住民相互のコミュニケーションが解りやすい小さな範囲で、NKモデルの情報伝達に示すような徹底した情報の交流があるときは、次々項に述べる集団化の基本原則が結果として満たされているのが観察されるのであります。
この基本原則の第一条に示される都市社会が持つ共通の目標が、衣食住医等の基本的な充足から始まり、時代の波動を受容することができる精神活動の、いわば知縁を目的とするようになると、地域コミュニティの一般的事態は一変して、創造的であり輝く目のヴィヴィットな地域空間を表現することが多くなり、居住空間としては落ち着いた平安のうちに安らぐような癒しの空間を模索するようになると思われます。
